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親鸞が引き寄せる!?文化芸術の全部のせ。
:山形市七日町 浄土真宗 白鳥山明善寺
〜シリーズ「寺、マイル」やまがた編 vol.3〜

親鸞が引き寄せる!?文化芸術の全部のせ。
:山形市七日町 浄土真宗 白鳥山明善寺
〜シリーズ「寺、マイル」やまがた編 vol.3〜
気になる人, お寺情報 山形県
2019/06/14

 シリーズ「寺マイル」今回は最もフリーダム?な宗派として名高い浄土真宗のお寺様です。なんて言ったら怒られそうですが。まずは少しだけ魅惑的な浄土真宗の話をさせてください。

 

 かつて、飛鳥から平安ころまで、仏教は外国からやってきた最先端の文化で、スノッブな貴族階級のものでした。それが「鎌倉新仏教」の誕生によって武士や庶民の間で爆発的な広がりを見せます。そのなかでもひときわ自由で明るくおもしろい(?)のが浄土真宗。

 

 有名な「悪人正機」をはじめ相当にラジカルなキーワードが多いですが、革新的がゆえ、庶民が受け入れやすく心に響く教えであったことが普及の要因であることは想像できます。とりわけ魅力的なのは開祖親鸞そのひと。亡くなってから今のいまに至るまで、多くの芸術家や作家が親鸞という人間とその思想を題材としてきています。たとえば、親鸞の言葉を弟子の唯円がまとめた「歎異抄」にはじまり、これを現代語でシナリオ化した倉田百三の「出家とその弟子」、さらに最近では「スラムダンク」で有名な漫画家 井上雅彦が親鸞を屏風絵に描き五木寛之の小説「親鸞」に現代美術家の山口晃が挿絵を描くなど、まさにマルチメディアな展開を見せる親鸞。

 

 さらに、浄土宗を開いた親鸞の師 法然とあわせていわゆる「浄土思想」へと視野を広げれば、ジブリの高畑勲が最後につくったアニメ「かぐや姫の物語」なんかはクライマックスで登場する「阿弥陀来迎図」の見たまんま仏教な部分を抜きにしても、その伝えたいテーマは仏教のエキス100%。とりわけ浄土思想をベースにした作品と感じられます。ことほどさように、アニメーションをはじめあらゆる日本の国産エンターテイメントは、習合した日本仏教の影響下にあると言える証左は枚挙にいとまがありません。

 そんな強烈なエンタメ性もあいまって(かどうかわかりませんが)現在日本で最も多い信徒を有する宗派となっているのが浄土真宗です。

 

 今回お伺いしたのはその浄土真宗本願寺派 の名刹「白鳥山明善寺」さん。浄土真宗本願寺派は日本一信徒が多い宗派ですが、東北では少数派。山形市内で4ヶ寺、東北六県でも150ヶ寺。曹洞宗の寺院は東北で約2,500ヶ寺ですから比較するとずいぶんと少ないですよね。西日本に行くとこのバランスが逆転します。

  明善寺の副住職 鈴木寿昭さんは奈良のお寺さんで生まれ育ち17年前に山形へやってきて明善寺へ入られました。

副住職は「Iターン」〜お寺に賑わいをつくる

副住職は「Iターン」〜お寺に賑わいをつくる

(写真:鈴木幹雄住職 書院にて)

 

 住職の鈴木幹雄さんと副住職の鈴木寿昭さんに話をお聴きしました。

  副住職の鈴木寿昭さんは奈良で生まれ育った、いわば山形への「Iターン」組。吉野(現 五條市)のお寺のご出身で、15の年に出家得度。ちなみに、各宗派で出家得度できる年齢が違います。本願寺派(西本願寺)は15歳から。一方、大谷派(東本願寺)は9歳から。これ、親鸞上人が得度したのが9歳だったからという理由。

 

 さて、副住職が奈良から山形の明善寺へ入ることになった経緯のお話をしましょう。副住職は、かつて浄土真宗本願寺派の全国青年会長として全国を飛び回っていました。東北での会議が明善寺で行われたとき、そこで住職の娘さん、現在の奥様との出会いがありました。山形に足を踏み入れたのもそれがはじめてだったそうです。

 そんなこんなで山形に身を移されてから17年。ここ数年来、お寺の本堂を活用してヨガやコンサートなど寺イベントの開催がちょっとしたブームの様相ですが、実は明善寺さんでは今のブームのもっと前からお寺を解放し人が集まり学ぶそんな場を提供することに力を注いでらっしゃいました。

 そのひとつが、浄土真宗の伝道の中心である「法話」。明善寺さんでは、戦前から毎月19日に全国の浄土真宗の寺院から僧侶をお一人招いて法話会を開催しています。最近は30台40代の若い僧侶も多く、副住職も「布教使」として全国のお寺をまわってらっしゃるそうです。

 ちなみに、ご出身の奈良と山形では門徒さんや地域の人々をみたとき、仏教的視点からみてなにか大きな違いってありますか?という質問をしてみたところ、法話については、山形では、学校の授業を受けるようなカタい心持ちで聞きに来る方が多いので、笑いが欲しい時にシーンとしてちょっと進めづらいときもあるかも(笑)とのこと。その点、笑いの本拠地関西ではそのアドバンテージは言わずもがな。反応が良ければ話し方の興ものって時間オーバーしますし、その逆もまたしかり。

↓こんな感じの法話もあるくらいです。

 浄土真宗の法話が落語のルーツであるという説もありまして、法話の際に最近は立って話すことが多いそうですが、もとは授戒の儀式と同じように「高座」に座ってするものだったようです。落語の「高座」とかぶりますね。そんなわかりやすい共通項もありますが、実際はもうちょっと深いところでつながっているように思えてなりません。

 例えば、仏教で言う「縁起」という言葉。ざっくりいうならば、人は他との関係性によって一時的に存在しているという仏教の根本的教えのひとつです。これが「悪人正機」のフィルターを通ると、落語の本質、故立川談志も言う、人間の業の肯定に結びつくような気がします。親鸞の言葉は解釈がなかなか難しくおいそれとわかったようなことは言えませんが、落語好きの私としては、どこかでやはり繋がってるなと感じます。

 

  もうひとつ、意外でめずらしいのが、日本バーベキュー協会認定のバーベキュー検定を境内で開催されたということです。えっ何が意外?という向きもあるかもしれませんが最近では様々なイベントがお寺で催されるものの、実は宗派によってその内容のアリかナシかのボーダラインが違います。

 ここまでの話でお察しのとおり浄土真宗の場合よっぽど不遜にならない限りオッケー。特に開祖から肉食妻帯を認めてきた浄土真宗ならではのこの「境内BBQ」ということなんですね。

 鈴木福住職が、浄土真宗のこども会の催しでお世話になっていた福岡のレクレーション協会の方が居り、その方を通してバーベキュー協会なるものの存在を知り、本願寺仙台別院で件の検定を受けてみたのがことの発端。BBQトハナンゾヤという理念からはじまり実技から試食までという充実ぶり。これはぜひ山形でと小学校のPTAのお父さんお母さん、そして興味を抱き仲間に加わることになったピッツァとワインのお店「フラム」のソムリエ近藤さんなど多様なメンバーで第一回バーベキュー検定が明善寺で開催されました。

 小学生の子供達が中学高校と成長しても集まれる場所として境内で継続してやっていきたいと考えていた副住職ですが、直後に大病を患いしばらく入院生活が続き残念ながらその後はお休み中とのこと。復帰されてからもBBQに限らずお寺でこどもたちが居られるような催しをやりたいという副住職。今後が楽しみですね。

文化芸術の宝庫〜濱田庄司から伊東忠太まで

文化芸術の宝庫〜濱田庄司から伊東忠太まで

 さて、ここまでいろいろとお話を伺ってまいりましたが、なんといっても明善寺さんといえば本堂なんですね。米沢出身で明治神宮や靖国神社など寺社仏閣に代表的設計作品を多く残す伊東忠太が設計したこの本堂は、かの有名な築地本願寺のプロトタイプとして多くの建築関係者が見学に訪れるというその界隈では有名な寺院なのです。

 伊東忠太博士は、大正14年にひとまず本堂と書院の図面を書き上げ、そこからさらに手を加え、昭和2年に最終設計図が完成します。左右に鐘楼と鼓楼を配置する木造の造りは、鉄筋コンクリートの築地本願寺が湛えるオリエンタルな表情とは対象的。

 

 ではなぜ?伊東忠太がこの本堂を設計するに至ったかという話です。これはいたって自然な話なのですが、計画当時に檀家総代であった村井三雄蔵氏が伊東忠太の実の弟さんだったそうです。このつながりで、博士へ設計を依頼し受け入れられたということ。余談ですが、この村井家に入った伊東家三男の三雄蔵さん。後に山形交通(株)(現 株式会社ヤマコー)の創始者であり初代社長となる方だそうです。それにしても、やまがたオールスター感が半端じゃないですね。

 

 明善寺本堂は昭和5年着工で完成したのが昭和9年。築地本願寺は昭和6年着工で完成が同じく昭和9年。鈴木住職のお話では、築地本願寺は背景に西本願寺という大きな支えがあるから、あれだけのものがそんなに短期間で出来たということです。明善寺さんの場合はどうかということですが、明治27年の山形大火でかつての本堂が焼失してそれから紆余曲折のうえ完成まで構想40年。当時80戸に満たない門信徒の数だったそうですから、ひとりひとりが物心ともに相当なリソースを注がれたことは想像に難くなく、築地とはまた違うかたちですが、相当な信頼と期待で守られたお寺だったのだなと感じます。

 

 冒頭の浄土真宗のお話しでも触れましたが、檀家さんはじめ周縁から、例えるなら西洋美術におけるパトロンのように、仏教がもつ信仰と文化芸術のタネたちそれらそのものの尊さによって庇護され、再興のためにあらたに物心が注がれ、増幅したり形を変えたりしながら、ずっと守られてきている、そんな文化の粋(すい)があつまったところがお寺なのではないかなと、いまここであらためて感じています。

 

 それを物語るエピソードがもうひとつ、明善寺にはあります。みなさん濱田庄司という陶芸家はご存知でしょうか?明善寺には氏がつくったたくさんの陶芸作品が保管されています。濱田庄司はいわゆる「人間国宝」の第1号。用の美を貫く「民藝運動」を柳宗悦と共に提唱し実践した陶芸家で、彼がインスピレーションを受け拠点とした益子の焼き物が持つ肉厚で素朴な風合いは、濱田庄司により日用の器から民藝陶器へと昇華されていきました。益子焼がもたらした変化は、全国各地にある日用の器をつくる窯の在り方にも変化を与えたわけで、身近なところでは山形の平清水焼や新庄の東山焼などもその一つなんですね。

 ここでまた、なぜ濱田庄司の陶芸作品が?明善寺に?というはなしになるわけですが、濱田庄司の妹さんが当時東京で開業していた山形出身のお医者さん(i家 明善寺の門徒)に嫁ぎ、晩年お医者の仕事を辞め、夫婦ともに山形に戻られました。i家のお墓が明善寺境内にあり度々参詣するうちに明善寺の「離れ」をとても気に入りそのままそこを終の住居にされたのだそうです。そんなことで妹さんを非常に可愛がっていた庄司はよく山形を訪れ、これ使ってくださいと作品を置いていかれました。しかし、「用の美」とは申しますが人間国宝の器を正直なかなか普段使えないですよね。と鈴木住職。ほんとにそうですね(笑)。

まだまだ魅力はおさまりきれない!つづきは明善寺で。

まだまだ魅力はおさまりきれない!つづきは明善寺で。

(写真 鈴木寿昭副住職と奥様 本堂脇の書院より庭園を眺る)

 

 少々長くなりました今回の「寺、マイル」山形編。これでもまだ書き足りないほどの魅力溢れる明善寺さんでした。お寺を見てみたい方、ぜひ鈴木住職、副住職のもとに訪れてみたらいかがでしょうか。今回書ききれなかった興味深いはなしを直接お話しいただけるかもしれませんよ。

 

※そして、最後の最後にもうひとつ。上にあるの写真ですが書院から庭園を撮ったものです。明善寺の庭園は、客殿から、本堂脇の書院から、茶室から、どちらから眺めても正面となるよう作庭されています。良い眺めですよね。ちょうど春の桜満開の折です。

 このときに、ふだんはなかなか入れない茶室にあがらせていただきました。茶室の床に座って庭を眺める視点は現代の生活様式に慣れた目にはとても新鮮。桜を除いて視界に何もない状態。借景に見える本堂の屋根が際立つ。圧巻でした。圧巻過ぎて写真を撮り忘れました(笑)。ナルニア国かアリスインワンダーランドか、まさか街中の寺に一歩踏み入れるとこんな別世界が存在するとは。山門前の道路拡幅で境内の大改修を行った際に、山形建設さんにより、まるごと持ち上げて動かす「引き前」の技法で90度回転させ、茶室からの絶景をつくりあげてくれたそうです。

y.Yonemoto

このページの起案者であり総括プロデュースを行う石材卸メーカー社長。

石材業界や地元企業団体、震災復興事業、地域貢献活動の役員などで幅広く活動中。

また災害ボランティアや地元を巻込んだイベントのプロデュースも行う。