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シリーズ:仏教のひみつ第7回「禅の修行が目指すもの」〜修行道場で1年間修行して、何が変わったの?

シリーズ:仏教のひみつ第7回「禅の修行が目指すもの」〜修行道場で1年間修行して、何が変わったの?
お寺情報 全国
2019/04/08

 

前回、修行道場で修行をしても何も要らなくはならなかったというお話をしました。

 

では、修行して何が変わったのか?

言葉にすれば、「今まで無いと生きていけない」と思っていたものが

「無くても生きていたという事を知っている」自分に変わったという事に尽きます。

 

お坊さんのくせに、と言われてしまいそうですが、私は肉も魚も大好きでよく食べます。

もちろん野菜も大好きですが、どれかがなくなることは相当にストレスです。

そしてお酒も大好きです。

 

友人も恋人も(今は妻ですが)大好きで大事ですし、やりがいのある仕事も自分には必要不可欠なものです。

 

 

 

生きる喜びに繋がるものを取り上げられたら?

生きる喜びに繋がるものを取り上げられたら?

 

好きなものを食べ、好きな音楽を聴き、好きな仕事に励み、好きな仲間と好きなように話して過ごす時間が、私にとって「生きる力」であることは間違いありません。

 

ですが、それが全部ない一年間というものが、私に厳然とあったのです。

 

そして、私の欲しいもの、手放したくないもの、生きる喜びに繋がるものがすべて「取り上げられた」状況の中で、それでも確かに生きていたという経験は、私にとって大きな「生きる力」になっていると感じます。

 

もう少し整理すれば

無いと生きていけない→あれば嬉しい、無ければ残念

何としてでも失いたくない→有れば有ったなりに、無ければ無いなりに

という事になります。

 

そしてこの受け止め方は、皆さんの人生にも大きなヒントになるはずなのです。

 

 

 

「失う疑似体験」をお勧めします。

「失う疑似体験」をお勧めします。

 

シリーズ第2回目に「足し算したものはいつか必ずなくなってしまう」という話をしました。

 

冷静に考えれば、私たちの人生(特に後半)は、失う事の連続です。

社会的地位も、財産も、身体能力も、人間関係も、否が応でも手放さなければなりません。

 

飲みたいものも、食べたいものも、したいことも、会いたい人も、思い通りにならない場面が誰しもに訪れるのです。

 

その時に焦りうろたえてしまうのか、それともある程度冷静に対処することが出来るのか。

少なくとも「一度失う経験を修行生活で得る」前の私と、後の私とではだいぶ違うように実感しています。

 

「失ってはじめて、その価値を知る」と言いますが、「失ってはじめて、失っても生きていけることを知る」のもまた事実で、失う疑似体験としての価値が修行生活にはあったのです。

 

そして皆さんにも一度、「失う疑似体験」をお勧めしたいのです。

 

私のように1年間修行道場に籠るのは難しいかもしれませんが、いまその場で簡単にできることがあります。

それが、「坐禅」の実践です。

宇野 全智(うの ぜんち)

昭和48(1973)年、山形県生まれ。山形大学理学部生物学科卒業。曹洞宗の布教師養成機関(現在の曹洞宗総合研究センター教化研修部門)修了後、大本山永平寺で一年間の修行生活を送る。曹洞宗総合研究センター研究員、職員等を経て現在、同センター専任研究員。曹洞宗の教えを分かりやすく伝えるための企画・開発を手掛け、曹洞宗の本部、各支部が主催する僧侶・寺族向け研修会の講師などを務める。また曹洞宗公式サイト「曹洞禅ネット」の企画運営や、一般向け各種講演会、研修会、坐禅会、写経会等の他、曹洞宗「こころの問題」研究プロジェクトリーダーとして、被災地支援活動、自死遺族支援活動にも関わる。

著書「禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン 」など