終活で人生をより豊かに。

シリーズ:仏教のひみつ第4回「禅の修行が目指すもの」
〜修行を積むというけれど・・・

シリーズ:仏教のひみつ第4回「禅の修行が目指すもの」
〜修行を積むというけれど・・・
お寺情報 全国
2019/02/14

 

 

前回は「禅の修行生活」の実際を紹介しました。

 

「修行を積む」という表現が使われるように多くの方にとっての修行のイメージとは、

「断食」や「滝行」「火渡り」

などの特別な「修行というパーツ」をピラミッドのように積み上げて上に登り、高く遠いところにある「さとり」を掴むようなものだと思います。

 

 

ですが、禅の修行は全く違っていて、日常生活を丁寧に行う事こそが、自分のこころと身体を調える修行になるのだと考えるのです。

 

 

 

「洗面の巻」というお経

「洗面の巻」というお経

 

鎌倉時代の禅僧、道元禅師は『正法眼蔵』という約100巻のお経を書き残しいているのですが、その中には「さとりとは何か」「仏とは何か」という難しい問題を正面から取り上げた内容と並んで、例えば「洗面」の巻というお経があり、ここには歯を磨き、顔を洗う事がとても重要な修行になるのだと書かれているのです。

 

 

その内容はこうです。

 

朝起きて顔を洗う時、まずは桶に一杯のお湯を汲んで、丁寧に大切に使いなさい。

歯を磨き(ちなみに今の修行僧は普通の歯ブラシを用いていますが、道元禅師の頃は「噛楊枝」といい、竹や木の先を噛んでボサボサに加工して使っていました)、舌もきちんと擦って磨いて、臭い息で人前に出ることのないように心がけなさい。

また歯を磨くときは「私が歯を健康に保ち、硬いものをガリっとかみ砕けるように、私の持つ硬い煩悩も、いつかガリっと砕けるようにと願いながら歯を磨きなさい。

また顔を洗う時には額、眉毛、両目、鼻の中、耳の中まで丁寧に洗い、清潔な修行を心がけなさい。

また顔を洗う時には「顔を洗い、眼がぱっちり覚めるように、いつかパッチリ悟れますように」と願いながら顔を洗いなさい。

 

 

 

日常生活を丁寧にムダなく務めることも「さとり」

日常生活を丁寧にムダなく務めることも「さとり」

 

こんな風に、毎日の日常生活を丁寧に、ムダなく務めることによってこそ、さとりに近づくことが出来るのだと教えたのです。

 

 

これは、「洗面」に限ったことではありません。入浴、掃除、お手洗いの使い方に至るまで、更には歩くこと、立ち止まること、座ること、寝ることなど(これを行住坐臥と言います)の日常の一挙手一投足を、頭から足の先まで注意深く心を配り、生活することこそが修行であるとしています。

 

禅の修行は「修行を積む」というよりは、「日常生活の無駄と怠慢をブラッシュアップしていく」というイメージに近いものなのです。

 

 

そして「さとった人(正確に言えば、さとりを体現する人)」とは、何も特別な能力を身に付けた人ではなく、要は「清潔で、丁寧で、心配りが出来て、モノや人を大切にできる人」、つまりは「普通に誰が見てもステキな人」という事になるのです。

して禅の修行は、誰しもが日常生活で実現可能なものでもあります。

 

 

さてあなたは、

朝顔を洗う時、お風呂でシャワーを使う時、お湯を無駄に出しっぱなしにはしていませんか?

トイレを使う時(特に公衆の場所で)、紙や水をムダにはしていませんか?

もし汚してしまったとき、そのままにはしていませんか?

 

 

ステキな自分を目指す修行の機会は、日常にあふれています。

 

 

宇野 全智(うの ぜんち)

昭和48(1973)年、山形県生まれ。山形大学理学部生物学科卒業。曹洞宗の布教師養成機関(現在の曹洞宗総合研究センター教化研修部門)修了後、大本山永平寺で一年間の修行生活を送る。曹洞宗総合研究センター研究員、職員等を経て現在、同センター専任研究員。曹洞宗の教えを分かりやすく伝えるための企画・開発を手掛け、曹洞宗の本部、各支部が主催する僧侶・寺族向け研修会の講師などを務める。また曹洞宗公式サイト「曹洞禅ネット」の企画運営や、一般向け各種講演会、研修会、坐禅会、写経会等の他、曹洞宗「こころの問題」研究プロジェクトリーダーとして、被災地支援活動、自死遺族支援活動にも関わる。

著書「禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン 」など