終活で人生をより豊かに。

やまがたの商店街は寺からはじまった?:七日町 長源寺
〜シリーズ「寺、マイル」やまがた編 vol.2(前編)〜

やまがたの商店街は寺からはじまった?:七日町 長源寺
〜シリーズ「寺、マイル」やまがた編 vol.2(前編)〜
お墓情報, お寺情報 山形県
2019/01/14

 アマゾンではクリックひとつで次の日に商品が届き、イオンモールをぐるっとまわれば衣食住がほぼ満たされます。そんな時代ですが、一方では中心市街地の商店街もなかなかどうしてホットな状況です。

 

御殿堰オアゾブルーとんがりビルgura。中心市街地を盛り立てる施設のOPENもここ数年めざましくって、十日町から七日町にかけての商店街を歩行者天国にしたイベントも目に見えて増えてますよね。

 商店街。その役割は単純に物を買うことだけではなく交流や体験を求めてその「場」にあつまる。そういう部分が大きいということでしょう。そもそも「市」の時代から商店街とはそういうものだったのかもしれません。

 

 そんなこんなで今回は山形市は七日町。いまにつづく「商店街」マインドのはじまりと目される長源寺について歴史を紐解きながらご紹介します。

鳥居忠政公の墓碑を大発掘。そこにはなにが!?

鳥居忠政公の墓碑を大発掘。そこにはなにが!?

 山形における長源寺のはじまりは江戸初期の1622年。最上家の改易により鳥居忠政公が福島は磐城より山形へ移封となり、長源寺も一緒に山形へ移ってまいりました。(詳細は前回の記事を参照)その後、今に至るまで山形の中心である現在地に長源寺はあり続けます。

 

 現住職の葦原正憲さんはそこから31代目の第31世住職。27歳の若さで住職となり、山形青年会議所のメンバーとして、馬見ヶ崎の河原を会場とした第一回の山形大花火大会の実行委員長を務めるなど、街中にある寺として積極的に地域づくりに携わり、力強い昭和の住職像を創り上げてきました。

 

 そんな葦原住職、脂ののった40才前。境内に古くより鎮座する鳥居忠政公の墓碑調査に乗り出します。

 

 鳥居公の墓碑はそれを囲むように建立される檀家さんの墓地より一段高く盛られ、ひときわ高くそびえる塔状の石碑です。ここには、なにかが埋蔵されているのではないか、鳥居家代々の墓所は壬生にあるが分骨されているのか?あるいは…?そんな積年のギモンを解決すべく地元工務店の協力のもと発掘調査が開始されました。

 

 時は80年代初頭。世を騒がせた徳川埋蔵金発掘騒動を10年も先駆ける試みは、地元の新聞テレビ各社を巻き込み、山形市民の耳目を集めますがその結果は、なんと....。何も出てこなかったそうです(笑)外野は面白がって見ていたようですが、当時を振り返り語る葦原住職は本当に残念な様子でした。

 

 さてさて、江戸の最初期より城下町山形の「センター」を張り続けた長源寺が転機を迎えるのが幕末。ここにはまたもう一つ。切なくも山形を象徴する物語がありました。

つづきは次回、後編で。

 

水野三郎右衛門の死、そしてお寺が商店街に生まれ変わる:七日町 長源寺〜シリーズ「寺、マイル」やまがた編 vol.2(後編)〜

 

y.Yonemoto

このページの起案者であり総括プロデュースを行う石材卸メーカー社長。

石材業界や地元企業団体、震災復興事業、地域貢献活動の役員などで幅広く活動中。

また災害ボランティアや地元を巻込んだイベントのプロデュースも行う。