2018年6月現在 福島原発事故「帰還困難区域」↑
#東日本大震災 #原発事故 #お墓 #墓地 #放射能 #帰還困難
忘れてはならない。
2011年3月11日午後2時46分
三陸沖で発生したマグニチュード9.0の地震により引き起こされた大災害。
最大震度7の強い揺れで国内観測史上最大の津波を伴い、
東北を中心に甚大な被害をもたらしました。
東京電力福島第一原子力発電所が被災し、
放射性物質が漏れ出し今もなお深刻な状態が続き、
周辺地域の住民は戻れない日々が今も続いています。
あれから7年、現在の状況を取材しました。
浪江ICの放射線量の電光掲示板↑
国道を車で走ると、「帰還困難地域」の看板と共に通行止めになっている道路が多い。
国道6号線の原発事故規制区間では自動車のみで、バイクなどの二輪車や自転車・歩行者も通行不能の規制が、未だに続いている。
復興の遅さと、原発事故がいかに恐ろしいかを実感します。
そんな中、被災した沿岸部から仙台、いわき、郡山、福島などに移住した被災者が、古里に残したお墓を今後どうするか悩んでいる。
南相馬市営 原町陣ヶ崎公園墓地 新区画↑
被災した各地では、地域の団体や、行政などで
寺院・霊園・地域の墓地などの修繕が進み、同時進行で墓地の新設工事も多く行われている。
被災地での墓地の整備が進でいるのだが、
墓地を求める住民は年を追うごと減り、現在は予想より下回っているらしい。
7年以上も経過し、避難先で生活基盤が形成された状態では、
お墓だけ古里へ戻るのは難しいと考えるのが普通だ。
生活基盤がある地域へのお墓の引越しが増えている。
これが連鎖すれば・・・
帰る人が減り、
被災地の本当の復興はますます困難になるのではないだろうか。
復興が遅れがもどかしい。
国と東電の責任の重さを感じる。
南相馬市 下渋佐地区の復興墓地から見た防波堤工事↑
被災地沿岸では、防波堤の工事が急ピッチで進んでいる。
延々と続くコンクリートの壁・・・
昔の美しい「海岸線」の風景は皆無である。
安全の為に、同じ悲劇を繰り返さない為に必要なのだが・・・
本当に他に方法はないのか?
これでは古里の風景が失われ、戻りたいと思えなくなるのではないだろうか。
安全になっても人が住んでなければ、その意味は無い。
どうすれば復興につながるだろう・・・・・
せめて被災地域の復興の為に、
古里を忘れないために、
お墓だけでも古里へ建立してほしいと願う。
本当の意味で、復興への道はこれからなのだろう。