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東京大空襲から75年。戦災遭難者の霊を祀る「東京都慰霊堂」

東京大空襲から75年。戦災遭難者の霊を祀る「東京都慰霊堂」
供養 関東地区
2020/03/07

↑東京都慰霊堂 出典:https://www.gotokyo.org/jp/spot/358/index.html

 

東京大空襲から75年、東京都墨田区横網にある「東京都慰霊堂」には、戦災遭難者16万3千体もの遺骨が納められているのはご存知でしょうか?

 

東京都慰霊堂では毎年、東京大空襲があった3月10日に、遺族・皇族・東京都などが参列し、大法要が営まれています。

今年は新型コロナウイルス感染症などもあり開催が心配されています。

 

 

では「東京都慰霊堂」とは、どんな建物なのでしょう。

・東京都墨田区の横網町公園内にある慰霊施設。

・本堂は伊東忠太設計によるもので、寺院風の建築となっている。

・200坪の講堂を持ち、三重塔がその奥にある。

・三重塔は高さ約41mで、基部は納骨堂となっている。

・講堂には祭壇があり、震災死亡者、空襲死亡者の霊をそれぞれ合祀した巨大な位牌が2基祀られている。

 

・1930年に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂(しんさい きねんどう)として創建された。

・1948年に東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀する。

・1951年に現在の姿となる。

・都の施設であるが、仏教各宗により祭祀されている。

↑フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 

 

 

 

東京大空襲について

東京大空襲について

↑東京大空襲後の東京

 

1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下されました。

それが「東京大空襲」です。

 

現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となり、一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼったそうです。

 

 

この経緯は、太平洋戦争末期の1944(昭和19)年6月、アメリカ軍の戦略爆撃機B29が北九州の工業地帯を初空襲、同年8月にマリアナ諸島を攻略したアメリカ軍は、B29の基地を建設して、日本全土を爆撃範囲としました。

B29による東京初空襲は1944年11月で、当初は主に航空機工場などの軍需施設を目標とした精密爆撃でしたが、1945(昭和20)年3月10日、東京の下町を焦土と化す大規模な都市無差別爆撃がおこなわれ、2日後には名古屋、その翌日には大阪が大空襲の被害を受け、いずれも約280機の爆撃機が襲来して猛烈な被害を生じたとのこと。

 

 

 

 

 

当初は「震災慰霊堂」

当初は「震災慰霊堂」

↑関東大震災後の東京 出典:http://blogs.yahoo.co.jp/

 

当初の「東京都慰霊堂」は「関東大震災」の犠牲者のための慰霊堂でした。

その証拠に東京都慰霊堂の講堂に入ると、右手の壁に「関東大震災」の様子を伝える大きな油絵が並んでいます。

 

「関東大震災」とは

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾内に発生した巨大地震。

震源に近い神奈川県よりも、東京市内に大きな被害をもたらし、下町を中心に発生した火災が原因で、特に両国駅周辺は惨憺(さんたん)たる状況だったとのこと。

そこに想像を絶する「火災旋風」が襲来し、その時の犠牲者は約3万8000人とも言われており、東京全体の犠牲者5万8000人の65%といういうから、膨大な数だったとのこと。

 

 

 

震災慰霊堂に東京大空襲の犠牲者を合祀し現在の「東京都慰霊堂」となった

震災慰霊堂に東京大空襲の犠牲者を合祀し現在の「東京都慰霊堂」となった

終戦後、東京都の戦災犠牲者を祀(まつ)る施設建設が計画されたが、資金不足のうえ予定地もない。

そんな時、GHQ(連合国軍総司令部)から「震災慰霊堂(現在の東京都慰霊堂)でどうか」との提案がなされた。

 

「それはおかしい」

という声が当時は高かった。

戦災の責任は国家が負うべきもの。

天災である震災と戦災はいっしょにできない、というわけである。

 

しかしGHQの一声は重く、東京都は、「慰霊堂に合祀(ごうし)する」と決めた。仮埋葬の遺体は改葬(火葬)後、慰霊堂に移されていった。

その作業が完了した1951年、震災慰霊堂は「東京都慰霊堂」に名を変えたそうです。

 

なお慰霊堂に祀る戦災死者の名簿は、いまだに確定していない。

そのため都は2001(平成13)年から追加登録を始めた。家族などからの申請を受け付けるもので、戦後60年を過ぎて、毎年数百人の名が新規に登録されているとのこと。

 

 

災害と戦災に続けて見舞われた東京の発展は、この様な方々の犠牲の上に成り立っていると再確認できている。

総理も、2015年に初めて「東京都慰霊堂」の慰霊祭に参加したそうなのだが、そこが不思議だ。政治的問題の多い靖国神社よりも、「東京都慰霊堂」への慰霊・追悼を、もっと早くからして欲しかったものだ。

 

 

m.Handa

趣味は温泉めぐり。 北日本各地で店舗運営の経験を持つ。
このサイトの制作ディレクターでもある。

地域のマルシェやイベント企画など、多くに関わる。